KINGKONGSのあゆみ | ||
年度 | 事跡 | |
1985 | 昭和60 | 二年生水野憲孝を中心に創部。 当初はラグビー蹴球部内の組織として活動を開始。 監督に椿繁夫先生が就任。 山本琢磨先生のご協力の下、公式戦出場を目標に練習を開始。 KINGKONGSのすべてが、水野憲孝のレポートとその意欲・熱意から始まった。 |
1986 | 昭和61 | 初のオープン戦で横須賀学院を敗り、高体連準加盟扱いとなる。 しかし、秋・対抗戦直前思わぬ事故で出場を断念。練習自粛となった。 KINGKONGSはただの運動部だけでは終わることができなくなった。 |
1987 | 昭和62 | 練習自粛が続いたが、選手は諦めず、情熱を持って再起を期していた。 この時期こそがKINGKONGSの精神的基盤となった。 KINGKONGSはどの時代・いかなる時世にあっても「男の闘う集団」たること。 |
1988 | 昭和63 | 念願の練習再開。 夏にはオープン戦、合宿も実施し、いよいよ秋・対抗戦に出場。 長後高校に0-36と敗れ、公式戦初勝利はならなかった。 |
1989 | 平成元 | 同好会としてラグビー蹴球部から独立。 高体連正式加盟が認められる。 春・対抗戦出場、秋は、一回戦で日大高校に善戦し、注目されたが惜敗。 |
1990 | 平成2 | 部に昇格。 初の校外合宿を山中湖で実施。 春・秋とも戦績はふるわなかったが、オール神奈川に主将内田仁以下二名選出。 千葉マリンスタジアムで行われたS.I.C.BOWL出場。 主将内田は関東学院大学進学後し活躍。 |
1991 | 平成3 | 吉野昌彦先生がコーチ就任。(現中学スポーツ愛好会顧問) 秋には念願の初勝利を収め、準々決勝に進出した。 準々決勝では横浜商工高校に逆転負け、BEST4入りを逃す。 主力11名がオール神奈川に選出され、千葉マリンスタジアムでのSILVER BOWL出場。 主将篠義男はオール神奈川でも主将をつとめた。 この年より大学でもプレーを継続する者が増加。進学実績に貢献。 |
1992 | 平成4 | 主力三年が少なく、春・秋ともにふるわなかったが、秋一回戦で法政二高に0-20と大善戦。 新聞紙上でも注目された。攻守に活躍を見せた副将菊池浩は帝京大学進学。 初の一部リーグ選手となる。(現在もXリーグL.A.PIRATESで活躍中) |
1993 | 平成5 | 椿監督・吉野コーチ体制が定着、戦力も充実し、上位をねらえる陣容となった。 春・準々決勝で鎌倉高校と雨中戦の末に引き分け、コイントスで涙を飲む。 秋季大会では初の準決勝進出を果たし、法政二高を苦しめる大善戦。 この年から北志賀高原での合宿が実施され、他県チームから良い刺激を受ける。 |
1994 | 平成6 | 前年度主力が抜けたが好選手が多く、注目度は県下ナンバーワン。 しかし、負傷者と気持ちの空回りもあって、春は三位がやっと…。 秋に至っては一回戦で宿敵日大高校に逆転負けであった。 戦力的には充実していただけに悔やまれるシーズンであった。 なお、オール神奈川に主将小柳智宏以下四名選出。 第一回日米高校対抗戦(横須賀基地)に出場。 |
1995 | 平成7 | パワー・スピードと県下トップクラスのRB井澤亮を擁し、優勝を狙った… が、春一回戦で鎌倉高校に逆転負けで足元をすくわれた。 再起を期し、夏から中村一光コーチが就任。北志賀合宿も三年目となり効果はあがった。 満を持して臨んだ秋は、準決勝に進出。法政二高の前に敗れ、またも決勝進出ならず。 オール神奈川には主将井澤以下五名が選出。 川崎球場でのカレッジボウルに出場した。 |
1996 | 平成8 | 椿監督・吉野助監督・中村ヘッドコーチに加え、斉藤尚人・篠義男両コーチが就任。 春には静岡遠征を決行。春は準々決勝で横須賀学院にまさかの完封負け。 厳しい夏の練習を経て秋に巻き返しを期すが、主力に負傷者を出し舞岡高校に逆転負け、個性派揃いチームにとっては不本意なシーズンとなってしまった。 |
1997 | 平成9 | 少子化・部活離れから部員が11名となり、厳しい時期を迎える。 春は浅野高校に痛恨のコイントス負け。 その後、大量の新入部員を得て、秋にはQB関沢を中心にパスオフェンスを整備し大会に臨む。 初戦の横須賀学院を撃破するも、慶應高校戦では「若さ」を露呈し惨敗。 主将三上喬は、神奈川大学に進み、4年次は副将をつとめたあと日立に就職、ハリケーンズで活躍した。 また、同期のDL倉品は帝京大学へ進み副将をつとめ、現在は学生援護会で選手を続けている。 |
1998 | 平成10 | 三年生部員は城島のみ。そんな時代に城島はまさに最後まで孤軍奮闘した。主将となった三年次、若いメンバーのチームを率い、春は第三位。チーム構成の若さから秋は松陽高校に1回戦負けだったが、城島の存在感はチームに確実にインパクトを与えた。チーム事情によりバックスからラインまで様々なポジションをこなし、同期のいない辛い状況にも耐え、次代のKINGKONGSへ伝統を引き継いだ功績は大きい。 名城大学に進学した城島は、同大で選手として活躍、東海学生リーグ優勝に貢献した。 |
1999 | 平成11 | 豊浦伸コーチが就任。 この代は、久しぶりの大量入部者があり、個性溢れるメンバーでチームが構成された。 リターナーとして非凡な走りを見せた副将谷口(成田空港勤務)・同じく副将で巨漢Tの高橋(帝京大)・流通経済大学でU-19に選ばれたC綱島・現KINGKONGSラインコーチをつとめる遠藤(関東学院大)・スーパーRB大木、アスリートDB三浦(ともに帝京大)・クラッチキャッチの名手WR佐野(國學院大・鶴岡八幡宮神職)などに支えられ、田中は主将の重責を見事に果たし奮闘、三年次秋の準々決勝で法政二高を追い詰め、敗れはしたが強いKINGKONGS復活を印象づけた。 |
2000 | 平成12 | 横浜中学校からの入部者が増加し、一貫校から初の主将斉藤裕也が誕生。HAKAの初代リーダーでもある。 このチームは高校フットボール界の評価も高かったQB鈴木(帝京大)率いるKINGKONGS伝統のパスオフェンスで勝ち進んだが、宿敵慶應義塾戦では主導権を奪われ攻撃が不発、惜しくも敗れた。戦力的には充実した好チームであっただけに悔やまれるが、この代から部員数が安定し神奈川県内において、上位を常に狙う陣容ができつつあった。 |
2001 | 平成13 | 春の大会は組み合わせにも恵まれ大チャンスだった。 しかし、心の隙はKINGKONGSを勝利から突き放した。 鎌倉高校戦、肝心なところで攻守が噛み合わず、痛恨の敗戦。 屈辱の夏を北志賀と復活した忍野の2回の合宿で越え、秋に臨む。 二回戦で慶應義塾の怒濤の攻撃を防ぎきれず、思わぬ大差での敗戦となったが、彼らの意識レベルの向上が次代のKINGKONGSを本当の意味での強豪校にしてくれたのである。 |
2002 | 平成14 | 春・準決勝で慶應高校に敗れ、ショットガン導入。以来横浜主力オフェンスフォーメーションとなる。 主将佐藤・副将前田を中心に、高い意識と研究心で、春・秋ともに神奈川準決勝まで進出。 戦績が安定し、常にBEST4入りを果たすも選手層の薄さに泣いた。 しかし、この年の三年生はKINGKONGSをもうひとつ上のレベルに引き上げるきっかけを作った。 |
2003 | 平成15 | 主将高山・副将菅原を中心に、前年度三年生の作ったKINGKONGSのチームとしての流れをより加速させた。 戦績は、春・慶應義塾、秋・法政二高に準決勝で敗れ、残念な結果で幕を閉じたが、個々の資質は高く、よくまとまり、戦術的にも高いレベルをクリアした代であり、KINGKONGS史上4シーズン連続ベスト4・第3位でシード権を得たのは初めてであった。 |
2004 | 平成16 | 遠藤崇明・古澤大樹両コーチ就任。 春・松陽高校に痛恨の敗戦。総合力が上がりつつあったチームにとって、敗戦のショックは大きかった。 しかし、この敗戦があって秋の復活があったともいえる。 精神的弱さを払拭する為に、猛練習・試行錯誤の夏を過ごした結果が実を結ぶ。 秋の大会では、QBに主将影澤を起用し、三年生が魂のフットボールを展開。 豪雨の準決勝慶應高校戦。集中力を切らず、後半の慶應猛追のプレッシャーにも負けず、歓喜の瞬間を迎える。 初の決勝進出。法政二高の前に敗れるも、プレイオフで勝利し、全国大会初出場。 日大三高と接戦を演じた三年生の姿は、KINGKONGSの進むべき道を後輩達に示すものだった。 |
2005 | 平成17 | 小川健一先生、斉藤裕也コーチ就任。(9月よりHP開設) 前年度チームが初の全国大会出場を果たしたことで、新チームによる練習開始が遅れた。 上級生が少なく、同時にラインとも卒業による戦力低下が著しかったことから、このチームはスタート時、「史上最弱」という評価であった。しかし、主将小林を中心に3年生が、チームで多数のポジションを獲得することになった下級生へ献身的にサポートすることより、春季県大会では港南台・鎌倉学園を僅差で凌ぎきり、決勝で法政二高に破れはしたが、神奈川2位で初の春季関東大会出場・関東BEST8を手にした。 秋季大会は準決勝で慶應を相手に善戦しながらも、後手を踏み惜敗し、二年連続の全国大会出場は夢潰えたが、春「最弱」の汚名をすすぎ、精神的に脆い下級生中心のチームがここまで闘えるチームになれたのは、3年生が「KINGKONGS魂」を下級生達に継承するため「黒子」に徹しきり得られたすばらしい成果であった。 シーズン終了後「創部20周年記念式典」を挙式する。OB会「猩々会」正式発足。 |
2006 | 平成18 | 小柳智宏コーチ就任。 前年度の主力が多く残り、スタート当初から意識の高い練習ができた。 新方式で実施された新人戦では法政二高を敗り、ブロック優勝。 気持ちを緩めることなく、チーム力向上に取り組んだ結果、春季神奈川大会では、準決勝法政二高・決勝慶應高校を退け、初優勝を飾った。 秋は県大会決勝で法政二高の敗れ、プレイオフからの全国大会となった。 二年ぶりの対戦となった立命館慶祥を退け、日大三高と三度目の対戦。 前半大量リードを許すし敗戦するも、後半の追い上げは試合を諦めないKINGKONGS精神を充分に具現するものだった。 |
2007 | 平成19 | 古澤大樹コーチが教員として採用され、フルタイムコーチとなる。 同時に古澤コーチの同期(17期)前田潤コーチ就任。 春季大会準決勝は豪雨の中、慶應高校の気迫の前に完敗。 県大会連覇と関東大会出場を逃す。 再起を懸け、名古屋遠征・北志賀・忍野合宿とハードな夏季強化練習を決行したが、秋季大会では準決勝で法政二高の怒濤のラン攻撃を止められず敗戦。 春・秋二大会とも関東・全国大会出場を逃し無念の思いを残すことになった。 |
2008 | 平成20 | 新チーム発足直後に不祥事多発。椿監督が引責辞任する事態となる。 県下で上位常連校となりつつあり、そのことがチーム内に慢心・モラル低下を招いた結果であった。 STICK BOWL選手選考辞退、新人戦不参加を決定、多数の退部者を出すことになった。 主将以下選手はこの危機をバネに一致団結し、春・秋ともに県大会Best4に入る。 特に、秋季大会準決勝法政二高戦は、チーム史上に残るベストバウトであった。 |
2009 | 平成21 | 奈良橋・冨田コーチ就任。新チームは、各ポジションで上級生が卒業した後の戦力低下の為、再建色の濃い春となったが、春季大会はBest4を死守した。 夏季強化合宿は、新天地嬬恋高原にて実施。素晴らしい施設・環境のもと練習に集中した。 三年生の激しさ、一年生の溌剌さが練習を充実したものとしたが、一・三年生と比較して 二年生の伸び悩みが不安材料として残った…。 秋季大会では初戦の松陽高校にタイブレイクの末、敗戦。 来期への課題が多く、不発に終わった二年生の奮起を期待したい。 |
猩々の末裔
2009年度戦績
戦績一覧表
現役・コーチとして活躍中のOB紹介
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